高校生編・・・自殺して分かったこと 性同一性障害⑫
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高校生編・・・新しい名前 性同一性障害⑪ - 性転換子の生き様
前回までは着々と女性化してる記事だったけど辛い事がなくなるわけじゃなかった。
高校生活で沢山の人間から向けられた奇異の目。
家族には理解してもらえない。
自分の病気は分かったけど、これからちゃんと生きてけるのか。
辛いこと、不安なことなんて挙げたらきりがなかった。
女性化が進んで1歩ずつ前進しつつも、辛いことがあれば2歩ずつ下がってく感じっていうのかな。どんどんまともな生活から遠ざかっていってた。
子どもの頃に見かけた高校生は大人に見えて、自由に見えて、生き生きしてた気がするのに、今の自分は俯いて歩く癖があり人と目を合わせるのが怖い。誰かと目があうと私が気持ち悪くて見てるのかな?って考えちゃう卑屈な人間だった。
そんな私の唯一の居場所はネットゲームだった。定時制の学校に通う日と通院日、たまにいく買い物以外はネットゲームにはまってた。正直言うの恥ずかしいけど軽度の廃人だったと思う。でもネットゲームで遊ぶ人は私の事を避けないし、奇異の目で見ないし、女扱いしてくれるんだよね。これではまらないはずがない。勉強も疎かになって中学校の頃の学力なんて見るも無残って感じだったかも。
勿論親の不安は大きくなった。息子は性同一性障害だしネットゲームばかり、あれだけ期待の子だったのに何故!?ってね。親との喧嘩が絶えなくなるのは時間の問題だった。
今でも覚えているのは家族から投げられたあの言葉「全部お前のせいだ。」
性同一性障害じゃない人から見ると性同一性障害って自分が好きでやってるんでしょ。って思う人が結構いると思うの。親も同じ考えだった。でも今までの記事でも書いたと思うけど、好きでなんてやってない。だから自分のせいだって言われて辛かった。
家族とは昔はすっごく仲良かったの。旅行もいっぱい行ったし親が作る料理は好きだった。お誕生日やクリスマスの祝い方なんて近所の中でも抜きんでて豪華だった気がする。私だって子どもが出来る範囲で親孝行してたと思う。勉強では親の努力に答えようとしたし、家の手伝いは率先してする子だった。
だから家族とここまで関係がこじれて、上の言葉を言われるまで壊れてしまった事で何かの諦めがついたのかもしれない。
私は自殺した。
まぁこうやってブログを書いてるってことは死んでないんだけどね。未遂に終わったの。ベルトで首吊ったり、寒い夜に冷たい石の上で寝て凍死を試してみたり。市販の睡眠薬を3箱くらい飲んでみたり。
でも人間の体って思った以上に頑丈。死ねなかった。まぁそもそもやり方が間違ってたみたいなんだけどね。
首つりって死刑囚にやるときは首つって死ぬっていうより床がいきなり無くなるからその時の勢いで首にダメージかかるから成功しやすいんだってね。
自分で首吊ってちんたら意識なくなるまで待つのは思った以上に時間かかった。なっかなか意識飛ばなかった。
凍死も一緒。寒いと眠くなって意識とんで起きずに凍死するって聞いたんだけど全然眠くならなかった。
睡眠薬で自殺は絶対に成功しないんだってね。市販薬じゃ。市販のは睡眠薬っていうか睡眠導入剤だから沢山飲んでも死なないの。死ぬかわりに物凄く気持ち悪くなってゲーゲー吐くだけだった。
なんで3回やってその後自殺を続けなかったの?って思うでしょ。3回やって気付いた事があるの。
普通の人は周りの環境、人間はその人に対して辛いことをすることもあれば、優しくすることもある。(勿論、辛いことばっかりの人もいると思うけど、ここは私がその時思ったことだから気悪くしたらごめんね。)
性同一性障害者は周りの環境、人間は自分に対して辛いことしかしてこない。
唯一優しくできるのは自分だけじゃないかって。なら自殺はやめようって。自分まで自分に対して辛いことしなくていいじゃないかって。
だから私がやった自殺はその3回ぽっきり。それから今まで生きて来て自殺はしたことない。まぁものすっごく辛い状況に追い込まれて窓に吸い込まれそうになったことはあるけどその時は自分の意識なんて飛んでた気がするから除外しとこう。
これを読んでる人で辛い思いをしている性同一性障害がいたら自殺だけはほんとのほんとの最後の手段にしておきなさい。自分に優しくできるのは自分だけなんだから。今辛いなら徹底的に自分を甘やかしていい。意外と辛いことって時間が立てば楽になったり解決策見えてきたりするもんだからね。