性転換子の生き様

性転換で男→女に変わった私の人生の歩みや日々のLGBT関係の話で思ったことを書いてます。トランスジェンダーの話がメインです。

SEX CHANGE

性同一性障害の生活覗いていきませんか?

NOをいう事の大切さ 自分の後ろの人のために

更新間隔がだんだん延びしてしまっているホルマリーです。

ごめんなさい・・・。でも流行にのっかってどんどん更新するより

内容を吟味したいタイプだから許してね。

今回はマイノリティーよりではなく普通の人として生きてて大事だと思うこと

 

 

 性転換手術を受けて戸籍も変え、普通の人の中で生きて早○年。何故だかトラブルに巻き込まれることが多いなって思ってた。パワハラとかセクハラとか他にも色々あったんだけど、実は自分が特に巻き込まれることが多いわけじゃなく、みんなも同じくらいの頻度で巻き込まれてるんじゃないのかなって気づいたの。

 でも、そこで私と普通の人との違いはNOって言うか言わないかなんだなって。

 

例えをあげると

 ある会社でそこそこの役職の人がセクハラど真ん中の発言をしたり、それこそ体を触ってきたりしたの。私はある程度の回数されたら自分の上司や会社にある相談部署に言いに行った。でも同じことをされた他の社員と話をすると、その子は誰にも相談しにいかないんだって。

 なんでかっていうと会社での立場が悪くなるからとか、仕事がし辛くなるからとかっていう理由らしいんだけど、そこで相談して仕事がし辛くなるような会社にずっと働きたいのだろうかって思った。

 

 他にも、たちの悪いパワハラにも合ったことがあるんだけど、そのパワハラをする人は毎年、ターゲットを何人か決めてずっとパワハラを続けてきたの。ある年に私がそのターゲットにされて最初は流してたんだけど、体調崩すまで酷い事されたからパワハラ相談機関に相談して対処してもらった。

 でも、その出来事で一番おかしいって思ったのはパワハラした本人でなく同僚や上司だった。私がパワハラにあってるのを見て「数年でターゲットが変わるから頑張れ!」とか「〇〇さんも俺もターゲットにされたことあるよ。辛いよね。」それに似たような意味のない励ましとか同情ばっかり投げかけてくるの。で延々その人の愚痴で盛り上がって、ほんとあの人(パワハラした人)おかしいよな~で話を終えるわけ。

 

 上記の2つの出来事の結果はというと、私の言い分が認められてやった本人は罰せられた(もうちょっと重い罰でもいいとは思ってるけど)。そしたら周りの人間が何をいったかっていうと「すごいね!」「やったね!」とか「ホルマリーさん強いね!」「行動力あるね。」「これで俺たちの仕事がしやすくなるな!」って会議とか給湯室で声を大にして言うわけ。

 私一人で戦ったのに、さも同じ舞台で戦ったかのように喜び分かち合ってます的な態度をとった同僚や上司を見て、正直すっごい複雑っていうかむかついた。

 

 でも何で私がここまで周りの人と違ってNOっていう人間なんだろうって思ったら、やっぱりそこは性転換までして生きようって決めた人生だからって言葉に尽きる。

性転換せずに女性の戸籍がなかったら遅かれ早かれ自害でもしないとにっちもさっちも行かない人生だった。だからこそ、女として生きる権利を手に入れたからこそ、他人に自分の人生を踏みにじられるくらいなら戦うって選択するんだと思う。

 

 そして戦い続けて気付いたことは、NOをいう事は自分の人生を守るだけじゃなく、自分の後ろの人を守ることにも繋がるってことなんだなって。私が上のセクハラとパワハラと戦ってからその会社では同じ目にあった人はいない。もしそんなことしようものなら私みたいに相談されて自分の立場危うくなるからね。

 勿論、私もダメージを負わなかったわけじゃない。私のダメージは会社や同僚、上司に失望したこと。問題が収束した後も会社に残ってたんだけど、その後いつも通りに働きながらも、心の中でこの会社も一緒に働く人も信用おけないなって気持が段々大きくなって転職した。

 

 多分こんなことを繰り返しながら生きていくんだと思う。一生安住の地なんか見つからない可能性もある。でも、私がNOって言ったことで、私がいた場所にこれから向かう人は同じ理不尽に合わなくなるならそれでいい。

 

 ブラックな会社やブラックと言わないでも理不尽を社員に強いてる会社は、その会社自体も悪いけど、何かに理由をつけてNOを言わない人たちが働き続けること自体も問題だと思う。働く人がいなくなったら会社は潰れるしかないんだから、絶対におかしいって思ったらNOって言う勇気を持って欲しい。NOを言えない人間は私からしたら死んでる人と同じ見える。私みたいに特殊なケースにならないと普通に生きることがどれだけ貴重かを知る機会がないと思う。NOを言うと生活が不安定になる危険性がないとは言わないけど、そんな無理して続けてる人生は、私からみたら自分の人生を雑に扱いすぎている。

 たまに私と同じようにNOを言える人と出会うことがある。本当にたまにだけど。そういう人は少ししか接してなくても信用しようって思える。そういう人がもっと沢山増えたらいいな。

 

 そしてこういう事を書いていて、私としては昨今のLGBTの活動は前に出すぎたと思うって批判的な書き方をしていた。だけど、あの人達にとってNOを言った結果があの行動に繋がってるんだろうな。それなら私もその部分は訂正しないといけない。多分、私があの人達がやりすぎに思えたのは、すでに性転換して普通の人間としての生活を手に入れてしまっているからだと思う。もし、まだ性転換も終えていなくて差別の真っ只中だったら同じ行動をとってただろうな。